Auto Avio Costruzioni 815(1940年)――フェラーリ最初の名を冠せぬ“隠された”スポーツカーの物語

はじめに:伝説の幕開け

1939年、フェラーリという名を持たないまま、エンツォ・フェラーリはイタリア・モデナにて「Auto Avio Costruzioni(AAC)」という会社を設立。これは航空部品や機械工具を手掛ける企業でした。しかし同時に、彼の“レース熱”は冷めてはいなかったのです。契約上、しばらくの間「Ferrari」の名で車を製造できないという制約を背負いながらも、彼は「AAC 815」として、ついに自ら設計・製造したスポーツカーを完成させます。それこそが、1940年に生まれたAuto Avio Costruzioni 815。事実上、フェラーリが「初めて」世に出したマシンとされることもあります。 ウィキペディア+2Revs Automedia+2

出典:Wikimedia Commons


1. 誕生の背景と設立の経緯

A. Scuderia Ferrariから独立へ

エンツォ・フェラーリは1929年にアルファ・ロメオ車の販売やレース活動を行う「Scuderia Ferrari」を設立し、1933年には正式にアルファ・ロメオのレーシング部門となりました。しかし1938年、政治的・経営的理由からアルファ・ロメオとの関係は終焉を迎えます。フェラーリはその際、**「4年間スカデリア(Ferrariの名)で自動車を製造しない」**という契約を結ばされました。 ウィキペディア+1

B. Auto Avio Costruzioni の設立と使命

1939年9月、エンツォは航空機部品や機械製造を行う**Auto Avio Costruzioni(AAC)**を創業。それは表向き、戦争準備下における産業支援を目的とするものでしたが、その裏には密かに「レースカーを作りたい」という情熱がありました。 Revs Automedia+1

C. ルーティナと“裏メニュー”としてのレーシング

1940年、モデナの侯爵であるLotario Rangoni Machiavelliから、**「自分とアルベルト・アスカリ(Alberto Ascari)のためにスポーツカーを2台作ってほしい」**という依頼が入りました。これが、AAC 815誕生の契機です。 ROSSOautomobili+3ウィキペディア+3ウィキペディア+3


2. デザイン・構成:フェラーリ第一次形態

A. ‘815’の名称の秘密

「815」は、“8気筒”かつ“1.5リッター”の意。すなわち“8気筒・1.5L”エンジンを意味しています。 ウィキペディア+1

B. シャシーとエンジンの中身

エンジンは50音的「2台のFiat 508C(1.1L)をつなげたような構成」ですが、実際には完全に新設計のアルミニウム製ブロックが起用され、高い剛性と軽さを狙いました。5ベアリングのクランクシャフトや専用カムシャフトをAAC自身が製造。ヘッドは2基の508Cヘッドを流用しつつ、OHV・2バルブ/気筒セミドライサンプ給油、そして4基のWeber 30DR2キャブレターを備えます。出力は75PS(56kW)/5,500rpm。 ECR - Exclusive Car Registry+4ウィキペディア+4historicautopro+4

C. シャシー、足回り、トランスミッション

シャシーはFiat 508Cの流れをくむフレームを使い、トランスミッションは4速・マニュアル(ギアは自社製)。フロントはDubonnet独立懸架(ショック内蔵型)、リアはリーフスプリング+セミエリプティック構成のライブアクスル。総重量は約625kgと軽量設計。 ウィキペディア+2Automotive Masterpieces+2

D. ボディワーク:ツーリング社による美的体現

ボディはCarrozzeria Touring(トゥーリング社)が手がけ、**Itallumag 35(アルミ・マグネシウム合金)**の軽量素材により作られました。流麗で統合されたフェンダーラインが印象的で、ロングテールとショートテールの2種が存在。0–100km/hの公式タイムこそ不明ですが、最高速は約170km/h(110mph)に達したとされています。 ファステストラップス+4ウィキペディア+4historicautopro+4


3. 1940 ミッレミリア(ブレシアGP)—栄光と悲劇

A. 出走とドライバー陣

815は1940年4月、**ブレシアGP(ミッレミリア)**に2台出走しました。

B. レースの展開と結果

序盤、アスカリの#021は1500ccクラスをリード。ところがロッカーアームの破損によりリタイア。一方#020は快調に走行し、一時はクラストップ、さらにラップレコードも記録していました。しかし7周目でエンジンまたはリアアクスルにトラブルが発生し、こちらも棄権。結果、2台とも完走できず、「英雄的失敗」となりました。 ウィキペディア+2ウィキペディア+2

C. 戦後の運命

第二次世界大戦が勃発し、Italyは戦時体制に移行。フェラーリは戦後の本格的なスポーツカー計画を温めつつ、AAC 815のさらなる発展や量産は中断されました。 Automotive Masterpieces+2Revs Automedia+2


4. 生き残りと現在の再評価

A. 唯一の現存車:#021の軌跡

2台中、#020は戦後に破損し、スクラップ場に送られてしまいます。1958年に発見されますが、間に合わず解体されました。 ウィキペディア+2ウィキペディア+2

一方、#021は戦後もレースに出場。1947年にはエンリコ・ベルトラッキーニがドライブし、複数のレースに参戦。1950年代にはマリオ・リーニの手に渡り、近代に至るまでモデナ近郊で保存され続けています。現在もそのコレクションに保管され、時折イベントなどで展示される貴重な存在です。 ウィキペディア+2ウィキペディア+2

B. “フェラーリ 地の利” の象徴として

AAC 815は「最初の Ferrari」という呼称は公式には認められていないものの、技術的・精神的に**「フェラーリの原点=Number Zero(ゼロ号車)」**とする評価が広まりつつあります。フェラーリ社自身も、公式マガジンで「Ferrari Number Zero」としてしばしば言及しています。 ferrari.com+2Hagerty UK+2


5. 技術仕様まとめ表

項目内容
生産年1940年
製造社Auto Avio Costruzioni (AAC)
設計アルベルト・マッシミーノ、ヴィットリオ・ベレッターニ、エンリコ・ナルディ
ボディ製作Carrozzeria Touring, Itallumag 35
車体タイプ2シーター・バルケッタ(スポーツカー)
エンジン1.5L 直列8気筒 OHV, セミドライサンプ
排気量約1496cc (63×60mm)
出力75 bhp (56 kW) @ 5,500 rpm
トランスミッション4速マニュアル(AAC製ギア)
駆動方式リア駆動
サスペンション前:Dubonnet独立式 後:リーフ+ライブアクスル
重量約625kg
最高速約170 km/h
出走レース1940 Mille Miglia, 戦後のいくつかのレース
現存台数1台(#021)

(出典:球文中の各種引用情報) ウィキペディア+4ROSSOautomobili+4Automotive Masterpieces+4


6. 魅力の核心:なぜ815は特別なのか?

  1. フェラーリ“ゼロ期”の一台
     公式に「Ferrari」ではないにも関わらず、その精神、設計者の顔ぶれ、レースへの姿勢はまさしくフェラーリそのもの。まさに“Number Zero”の象徴です。 Hagerty UK+2ferrari.com+2
  2. 設計・技術の未知なる飛躍
     それまでの市販エンジンを“二枚合わせて”設計し直すという発想には驚愕。軽さと剛性、バランスを両立したエンジンは、その後のフェラーリの高性能DNAにつながっています。
  3. 美学と工業技術の融合
     Touringによる流麗なボディライン、軽素材の活用など、技術と美が高い次元で調和。以後のフェラーリ車にも通じるイタリアン・デザインの原点です。
  4. 戦争という時代の影に消えた宿命
     1940年は第二次世界大戦発生のただ中。戦争がこのプロジェクトを中断させ、その運命は悲劇的とも言えます。企画・製造され、レースに挑むも完走できず、さらに1台が失われる。そうした背景が、今では逆に“伝説性”を高めています。

7. 815とフェラーリを探るキーワードとして

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8. エンディング:815の持つレガシー

Auto Avio Costruzioni 815は、たった2台しか作られなかった“小さなヒーロー”です。しかしその影響力は計り知れません。フェラーリが公式に「125 S」として初代モデルを発表したのは1947年。その前哨戦として、技術、精神、美を兼ね備えたこの815こそ、フェラーリの胎動そのものを体現する一台だったのです。

  • 技術的にはフィアット部品の応用と独自開発の混合によるエンジン構造。その先進性。
  • 精神的には「名を持たずとも、性能で語る」というストイックな姿勢。
  • デザイン的にはTouring社による流麗な軽量ボディライン。フェラーリの美学の原点。

1940年のミッレミリアで“英雄的失敗”に終わったその戦いぶりは、後年のフェラーリが戦線に立って勝利を重ねていく端緒であり、**エンツォ・フェラーリの執念が具現化した“第零号車”**として、人々の記憶に永遠に刻まれています。


9. おまけ:815にまつわるトリビア

  • “Spider” の2スタイル:ロングテールとショートテールの2パターンが存在。展示時に両スタイルを見比べるのも楽しみ。 ウィキペディア+1
  • 現オーナー:マリオ・リーニ氏:モデナ近郊のコレクター、マリオ・リーニ氏によって丁寧に保管。時折メディアにも登場します。 Hagerty UK+1
  • 「Number Zero」という呼び名の由来:フェラーリが正式に「1号車」(125 S)を出す前の、“ゼロ号車”として位置づけられることが多いです。 ferrari.com

10. まとめ

Auto Avio Costruzioni 815は、単なるクラシックカーではありません。フェラーリの思想と夢が初めてマシンという形で現れた“原点”。その希少性、美しさ、技術力、そして戦時下のドラマが交錯する背景。すべてがこのマシンを“フェラーリ史における黄金のファースト”たらしめています。

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